かなしいことがあったら呼んでね

詩みたいに書いた日記で、日記みたいに書いた詩です

こんなものは書きたくて書いてるんじゃない

ポエムなんて書きたいと思って書いているわけではない。ほんとうは毎日有酸素運動をして体力をつけたいし、こんな深夜に起きていたいわけではない。

やらなきゃいけないことがたくさんあるのに、なぜやらなきゃいけないとされていることは頑なにしたくないときばかりなのだろう。具体的に言うとまず図書館で借りている本を返さないといけないのだけど、開いている時間に行くと怒られるかもしれないと思って行きたくないので朝か夜にこっそり返したいのだけど寒いのでそんな時間に出歩きたくない。


締め切りとかやらなきゃいけないとされることをすることが人生のストレスNO.1なのに、締め切り・約束がないと何もできない。始められない。追い込まれないと何もできない。「人に迷惑をかけてはいけない」と思う真面目さだけがわたしを社会に繋ぎ止めている。この他人に対する真面目さがなければ、わたしはとっくに社会から外れて毎日家で引きこもりニートをしていることだろう。

でも、そうやって外界のストレスを絶って、もくもくと好きなことをやったり考えたりすることがもしかしたらいちばん生産的なのかもしれない。いや、締め切りがなければ一日中NHK教育を見てぼけっと過ごしてしまうかもしれない。脳がスカスカになるのが先か、骨がスカスカになるかの勝負だ。


とにかく、やらなきゃいけないことがあるのに、毎日睡眠の快感と、何も考えずネットを見たり漫画を読んだりすることの心地よさに溺れてしまっている。家にいるとそんな感じでもう何も考えていないのだが、一歩外に出てやらなきゃいけないことをしていると、「生きてる理由がない」ということばかりが頭の中をぐるぐるしてしまう。

「生きてる理由なんていらないし、理由があるから生きるのではない。」と明確に自分哲学が出来上がっているのに、どうしてもそうなってしまう。

毎日、成し遂げなければいけないことがないと、「生きている理由がない」。これはたぶん、「つまらない」という意味なんじゃないか。ただ「つまらない」というだけで、真剣に生について悩み涙を流す性分なのは困ったことだな。困った。

「毎日がつまらない」のなら、楽しいことをするしかない。そう思うときにいつも「ギリギリでいつも生きていたいから ah〜」という歌が頭の中で再生される。良い歌だなあ。楽しい・苦しいのギリギリにいないと、生きてる意味がない気がする。毎日ヒリヒリして涙を流すほうが生産的だ。

睡眠の快感に溺れている場合ではない。

忙しくて生産的でやりがいのあることが終わって、休憩も十分とってしまったので、単に次のことを早くしたくて、でも何をしようか何ができるかを考えているだけなのだけど。

なんとかやらなきゃいけないことだけは終えて、またヒリヒリできる毎日を取り戻さねば。生について遠くから考えているのでは何も産まれず、つまりはわたしが生きている意味なんてないのだ。